第二新卒奮闘記

1年ちょっとで会社をやめたOLが転職してまたOLやりながら転職活動真っ最中を振り返る記録

会社を辞めた日のことと、その時の気持ちを思い出せる限り書いてみる①(約6か月前)

今日から数日間、退職直前直後、どんな感じだったか

 

書いてみます。数回の記事に分ける予定です。

 

 

 

「会社、辞めたけん」

 

と、母にCメールをした日

 

退職数か月前。

 

当時は

 

実家から通勤していたため

 

なにもCメールをする必要はなかったのですが

 

わずか1年ちょっとで辞表を出した日

 

帰宅直後にどう話を切り出してよいかわからなくて

 

とりあえず、夜、制服から通勤着に着替えて

 

黒パンプスからペタンコ靴に履き替えて

 

「お疲れ様でした」

 

を言った後

 

母にメールした。

 

母は多分その時間夕食を作っていて

 

父もすでに帰宅しているはずで

 

連携ははやいかな、と思ったので

 

迷わず送信ボタンを押しました。

 

 

概ね決めてることは、以前から両親に相談してたし

 

最終決断は、自分でしかできないと思ってた。

 

辞表を出す日は決めていた。

 

 

この話を進める前に

 

私の、経歴を雑に説明してみる。

 

まぁまぁ田舎な、地域に生まれ育ち

 

転職して家を出るまで

 

実家でずっと生きてきました。

 

ふつうの小学校中学校を卒業し

 

近くの公立の進学高校に進みました。

 

んで、浪人して、地元の大学で4年間過ごしました。

 

現24歳組は、きっと皆感じていたとおり

 

就活戦線異状アリで

 

新卒での就活はまじ散々。

 

とはいえど、ラッキーなことに

 

前職に拾っていただきました。

 

「堅い」

 

前職の内定を得たとき

 

だいたいの人がそう言いました。

 

 

この雑な経歴を今どうして言ったか

 

というと、いろんな場面の伏線になりうることだからです。

 

 

地味で真面目で堅い

 

今にして思うと

 

これが私の経歴な気がします。

 

 

 

話は辞表を出した日の帰路に戻します。

 

この堅い印象を外さずに育ててくれたのは

 

他ならぬ両親だったため

 

私の愚行にあきれているだろうな、

 

と思っていました。

 

 

しかし、帰ると

 

両親は私の帰りを待っていました。

 

 

「メールみたよ」

 

うん。

 

「よく、自分で、決めてきたね」

 

第一声はそれでした。

 

そのあと、刺身を食べて

 

まぁ退職までがんばれや、と言われて

 

に眠りについたかな。久しぶりによく眠れたことをよく覚えています。

 

「よく、自分のことを自分で決断した」

 

父が言ったか、母が言ったか、覚えてませんが

 

多分、どちらもそういったんだと思います。

 

これは、あまり褒めない両親が私にいった

 

最高の褒め言葉だったと思います。

 

 

雑な経歴に戻りますが

 

普通の公立小中高にあまり深く考えず進み

 

割とイケイケな

 

「かくあるべし」文化の高校で育ったため

 

ある意味 


あまり深く考えず

 

地元の大学以上の大学に進学するもんだ

 

と考えながら受験をし失敗し

 

とりあえず浪人して

 

地元の大学に晴れて合格。

 

晴れてと言いながら違和感があるのは

 

やっぱり地元の大学より上に「すすむべし」

 

にかなわなかったからだと思います。

 

若干の自己否定感を抱きながらも

 

大学は楽しくて

 

あまり深く考えず楽しい毎日を過ごしました。

 

就活も、

 

「君たちは大都会の立派な大学の

 

学生とは違うんだから

 

わきまえて、


堅くて倍率の低いところを探して

 

内定をもらいなさい」

 

という誰が言うたか覚えてないけど

 

大学の就職支援課の方とかが言ったに違いないお言葉を信じ

 

そういうところを

 

「地元にそんな企業、ねぇわ」とかいいながら探し

 

受けていった気がします。

 

 

要するに、真面目に堅く育ってきたわりに

 

あまり自分の意思を信じたりするんが苦手で

 

そもそも自分の意思なんて

 

そこに存在したのかわからないような

 

毎日を過ごしてきたのだと思います。

 

 

だからなおさら

 

「よく、自分のことを、自分で決めたね」

 

が、心に響いたのです。

 

とりあえず、

 

話が進んでいない気がします続きはまたあとで